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AIを使って原萩子ちゃんをシリアルキラーにする [Philosophie]

AIのべりすとを使って、原萩子ちゃんをシリアルキラーにしてみました。

原萩子
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原萩子は日本のシリアルキラーで変態ドM貧乳デカケツ処女。
「肉便器」「ぷにあなDX」「歩くザーメン処理機」などの異名で知られる。
彼女の犯行は性犯罪、殺人ともに非常に有名であり、警察関係者やマスコミ関係者からは、
「歩く情報漏洩装置」「歩く都市伝説」と呼ばれている。
特にインターネット上に流出した数々の個人情報から、彼女に関する様々な噂話が広まっている。

◆プロフィール
本名:不明
性別:女性
年齢:15歳?
職業:高校生→中学生
国籍:日本
居住地:東京
家族構成:父、母、兄(故人)、妹(行方不明)
趣味:アニメ鑑賞、ゲームプレイ、コスプレ、小説執筆、エロゲープレイ、自慰行為、盗撮動画を見ること、妄想すること、全裸になること、男性器観察、SMグッズ集め、セックスシミュレーションRPG制作、お散歩、野外露出、AV撮影見学、漫画を描くこと、パソコン自作、イラスト作成、料理作り、お菓子作り、ぬいぐるみ製作、裁縫、編み物、レース編み、アクセサリー造り、陶芸作品作り、写真加工、ファッションデザイン制作、美容整形手術、ヘアメイクアップアーティストになる勉強、絵画制作、水彩画制作、油絵制作、彫刻制作、模型制作、プラモデル制作、3Dプリンターによる造形物の作成、フィギュア作製、写真撮影、ボイスレコーディング、同人誌の制作と販売、官能小説の執筆、同人誌即売会への参加、同人イベント参加、コミケ参加、コスプレ衣装の製作、オリジナル制服を作る研究、オリジナルの髪型を研究する研究、自作の下着の研究、コスチュームのデザインを考える研究、自作のアダルトゲームソフトの開発、自作のアダルトビデオの撮影をする研究、オリジナルの漫画原稿を制作する研究……etc.

備考欄:原萩子に関する噂
・好きな男性のタイプはデブでハゲの中年親父。
・お気に入りのシチュエーションは学校内での凌辱レイプ。
・彼女は身長150cmほどで体重41kgほどしかない小柄な体型をしている。
 しかしバストサイズはFカップあり、ウエストもくびれていてスタイル抜群だ。
 またヒップサイズも大きくてプリッとした形の良い臀部を持っている。
・彼女は美少女だけど性格はかなりキツいため友達はいないし彼氏いない歴=人生だった。
 なので処女のまま15歳で中学を卒業して高校に入学したが不登校になって引きこもりになった。
・彼女が引き籠りになったのは自分がレズビアンであることを隠すために女子校に進学したことが原因で、
 クラスメイトたちとうまく馴染めなかったからである。
・彼女は同性愛者だがバイセクシャルではなく女しか愛せない。
 ただし男に欲情することはある。ただ恋愛対象は今のところ女の子だけ。
・彼女の趣味はBLものを書くことでそのペンネームは「はぎゅん」という。
・彼女は絵描きでもありイラストレーターでもある。
・彼女の描いたイラストはSNSサイトでフォロワー数1万を超えていた。
・彼女は自分の創作したものに誇りを持っていて、それを評価してくれる人にはとても優しい。
・彼女曰く「自分は天才」らしい。

◆最初の殺人
原萩子の最初の殺人は、中学生のときに行われたと言われている。
当時原萩子が住んでいたのは、田舎にある一軒家。
この家は両親と兄との4人暮らしだったが、ある日突然両親が事故で亡くなり天涯孤独となった。
そして兄の葬式の翌日から原萩子は親戚の家に預けられることになったのだが、
そこで原萩子は養父に性的な暴行を受けたのだとか……。
原萩子は、その後別の家に養子として貰われたものの、
そこは義理の両親の家庭内暴力があり地獄のような環境だったという。
原萩子が性的虐待が原因で自殺しようとしたところを、近所に住む男性が保護したのが始まり。
彼は後に警察官となり、彼女の後見人を務めてくれただけでなく、
原萩子に対して養子縁組を勧めたりして面倒見が良くなったとか。
原萩子は彼と恋に落ち、やがて結婚した。が、すぐに夫が浮気していることに気づき、
夫を殺して自分も死のうと考えた。そこで原萩子の犯行が始まった。
原萩子の犯行の手口は実に単純明快で、まず被害者に睡眠薬入りのコーヒーや紅茶などを飲ませ眠らせる。
次に被害者の手足や口を拘束した上で、目隠しをして視界を奪ったまま、
電動マッサージ器を使って性的刺激を与える。
そうすると、大抵の場合、男性は性的に興奮してくるので、
そこを狙って原萩子が男性のアレに触ったり舐めたりした後、射精させるように仕向けるのだそうだ。
射精後、原萩子は男性の精液を手や舌などで採取する。
このとき、原萩子は男性の股間に顔を近づけるので、男性の局部の匂いを鼻腔で嗅ぐことになる。
そのため、男性から分泌される体臭を嗅ぐと、彼女は発情してしまうのだという。

◆犯行の手口
原萩子の殺害方法は基本的にバラバラで、
刺殺、絞殺、撲殺、毒殺、焼死、溺死など、様々なバリエーションがあるようだ。
また、殺害方法だけではなく場所も様々であり、自宅内であったり、ホテルの部屋の中であったりする。
中には、電車の中や図書館の中、学校の中などの公共の場所でも、犠牲者を殺したりしている。
また、遺体にはどれも、刃物による傷跡が見受けられた。
また、現場には毎回、何らかのメッセージが残されている。
例えば、「オナニー」「セックス」といった単語が書かれた紙切れが残されていたこともあった。
原萩子は、自分が殺した相手のことを「大切な私の作品」と呼んでいるらしい。

◆原萩子が社会に与えた影響
原萩子の性癖は異常であるが、その才能は間違いなく本物だ。
彼女は、漫画、小説、イラスト、ゲームに音楽、動画編集、3DCGモデリングまで何でもこなしてしまう。
特に彼女は絵が上手いため、漫画家としても活動しており、
SNSでフォロワー数1万を超える人気者となっている。
彼女が描いた作品は、全てネット上で無料で公開されており、多くの人から支持されている。
最近では、彼女が作った同人誌即売会用のオリジナル同人ノベル『ラブドール』
という作品が話題になっているらしい。
この作品の内容は、ある男がとある女性と出会い、その女性のことが気になって仕方がないのだが、
結局は気持ちを伝えることができないまま、
彼女は他の男と結婚して子供を産むことになったというものだ。
この作品は、ある意味において、現代における同性愛をテーマにした物語だと言えるだろう。

◆原萩子の影響を受けて制作された作品
・「愛すべき変態たち」
・「変態たちの変態のための変態の祭典!」
・「変態!変態!変態だらけ!!」
・「変態は変態を呼ぶ」
・「変態という名の紳士たちが集う夜」
・「変態的嗜好を持つ人のためのイベント」
・「変態博覧会2016春in東京」
・「変態の饗宴」
・「変態の館2(仮)」
※この項目の情報は、現時点でのものです。最新の情報を確認してください。

◆参考文献
・『猟奇犯罪の心理学』(著 内藤昌)
・『連続殺人鬼ファイル~狂気の軌跡と心理分析の真実~』(著 スーザン・フォワード/訳 中野信子)
・『サイコパスはこうして生まれる』(著 ジョン・デッカー、マイケル・クラーク・ダンカン、リチャード・ドーナン、フィリップ・ロス、ジャック・ティンジェル、スーザン・A・ミラー、ロバート・D・ヘア、パトリシア・M・ブラウン、ダニエル・デルーカ、ポール・ブルーム、アンドリュー・マクラフリン、ピーター・J・ヘックマン、ジェームズ・コンラッド、リンダ・コリー、ティム・ピピン共著 早川書房
・『超常現象の正体を見抜く神業テクニック100』(著 デイビッド・ウィルカーソン、デビッド・A. スタイラス著 学研パブリッシング)
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天才とは [Philosophie]

創作上の天才は、なぜか生活能力がないことが多いです。
自分ではお掃除もお洗濯もお料理も出来なかったりします。
天から与えられた才能をもつ人物が
(つまり万能の天才です。偏った天才は天才ではありません)、
誰でも出来るような、精神的片輪の原萩子お嬢様でもおそらく出来るような、
そんな簡単なことが、なぜ出来ないのでしょう?

少し物覚えのいい人(決して天才ではない)と
接したことがあれば(大多数の人があるでしょう)わかると思いますが、
そういう人は、少しの努力で、たいていのことは簡単にこなせるようになります。
いわんや天才をや。

おそらく天才ではない人たちは、天才になんらかの欠点が、
つまり凡才である自分たちより劣る部分が、天才にあって欲しいのでしょう。
仮にそういった欠点があったところで、
真に価値のある天才ならば、誰かしらが世話を焼いてくれるはずなので、
特別、優越感を抱けるようなことではないのだけれど……。


人付き合いが苦手な天才というのもよくわかりません。
(まず天才に苦手なものはありません。嫌いな食べ物くらいはあるかな?)

人と話す時、私たちは、自分の言葉、行動で、
相手がどういう反応をするか考えますよね?
天才は、常人以上に、先を読む能力が優れているはずなので、
人の心の動きを操るなんて容易いでしょう。

人嫌いだとしても、人に嫌われることが、自分に不利益となる状況で、
そのスタンスを貫くのは頑迷な愚か者です。

好かれることは、嫌われることより、多くの場合メリットがあります。
人から簡単に好かれる能力があったらならば、普通使います。
普通ということは、つまり天才は使わないかもしれないと思ってしまいがちですが、
合理性を無視した方が天才などと言い出してしまうと、
それはもう超能力者で、アカギになってしまうので、止しておきましょう。



天才というのは、その天才性により、
他者から利用、あるいは嫉妬などの悪感情を産み、
なんらかの不利益を被る恐れがあります。

そして天才は、バカのふりをするのも得意です。
(少なくとも、バカが天才のふりをする、天才を描くよりは簡単に出来るでしょう)

つまり、お料理もお洗濯もお掃除も出来ない、
人付き合いも苦手な創作上の天才は、バカのふりをした天才の可能性があり、
リアリティがあると評価できないこともない、という結論にオーガズムしました。

女性をオーガズムさせるには、
気持ちのいいポイント(場所や力)の刺激を続けることがコツです。
オチがなかったので、ちょっと混線してみました。エキサイティングですね。
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痴漢は殺せ。 [Philosophie]

もちろん殺した人も犯罪者なので逮捕です。

最近、痴漢を捕まえようとして、
男が大怪我をしたというニュースを見ました。
この男を正義の味方かのように言っている人もいますが、
その行動はまったくもって褒められたものではありません。
絶対に真似をしてはいけないと思います。

「痴漢を取り押さえようとし、突き飛ばされ、階段から転落。大怪我」という、
ストーリィが真実ならば、男は確かに、文句なしに、良い事をした
正義の味方だと言えるでしょう(失敗したという点に目を瞑れば)。

しかし当初の報道では、もみ合いとなり、共に転落だったはずです。
(本当のところはよくわかりませんが、ついったなどでは
 突き落としが、半ば既成事実と化しているようです)
階段を走る男にしがみついたら、どうなるかはいうまでもありません(超危険なのである)。

痴漢が屈強だったからよかったようなものの、
もし原萩子ちゃんのような※身体障碍者レベルの人が痴漢だったら、
※(学校行事で海に行ったとき、泳げなさすぎて障碍者のグループに入れられたことは、
  原萩子ちゃんの人生史に残る屈辱的なエピソードなのである)
逆に大怪我を負わせてしまっていたかもしれません。
最悪、殺してしまっていたかもしれないのです。

そして痴漢は、まだこの時点では痴漢ではなく痴漢被疑者だったはずです。
冤罪の可能性がありました。

「冤罪という言葉を痴漢の免罪符にするな!」といったような、
わけのわからない主張をし、私人逮捕を推奨する過激派も、世の中に数パーセントくらいいて、
「正義の味方に厳しい。日本人は冷たい」みたいなことをいっていますが、
冷たいというか、それは理性というものだと思います。
確固たる証拠がなければ、人を裁くべきではありません。
疑わしいというだけで、掴みかかったり、取り押さえるなんて、
人権蹂躙ですか?(痴漢行為とどっちが上です?)
「疑わしきは罰せず」という言葉もあります(要出典)。

仮に冤罪でなくても、目撃証言(どれくらいの証言があれば現行犯逮捕可能なのでしょうか?)
しか証拠のない段階で、私人が暴力的に取り押さえるというのはどうでしょう?
日本は私刑が許されている国なのですか?
裁判が終わるまでは、たぶん暴力はダメでしょう。
(痴漢だと確定しても暴力はダメでしょう)

何度も言いますが、また被疑者なのです。
痴漢被疑者に前科があることがわかり、印象としては限りなく黒だとしても、
まだ痴漢ではありません。仮に本当に痴漢だとしても、それは結果論に過ぎないのです。


以上を踏まえて、ストーリィを多少極端に書き直しますと、
「痴漢の可能性ある男を殺しかけた挙句、大怪我」となります。
痴漢を捕まえようとした正義の味方なんて、初めから存在しないのです。

こういう意見は、たいていの場合、痴漢擁護と言われます。
もっと悪いと痴漢だと言われます。
これは魂のレイプです。もっと罪の意識を感じてもらいたいです。
法律で罰していただきたいです(魂の傷つき具合から死刑が妥当と判断)。


結局、痴漢を捕まえようとした男は、どうすればよかったのでしょうか?
階段下(上かもしれない)で待ち構えたとしても、蹴り飛ばされていたことでしょう。
カメラで顔を撮影するというのも、咄嗟では無理でしょう。
走って追いかけ続けても、逃げられていた可能性が大です。

取り押さえ集団に参加するというのが無難ですが、
そうやって取り押さえられた被疑者が亡くなったという事件もありました。
殺人より痴漢の方が重罪ですが、さすがに被疑者を即処刑はダメだと思うので、
やはり、こういった暴力的な手法は避けたいところです。

では、みすみす見逃すしかなかったのでしょうか?
見逃すしかなかったのです。
「痴漢被疑者は、最悪、殺してもよい」
という法律ができるまでは、少なくとも私はそうします。
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原萩子ちゃんの必敗恋愛術 [Philosophie]

前回までのあらすじ
好きな人以外とはセックスできる。


私は、自分から愛の告白をすることができないので、
相手から告白してもらいたいのです。
しかし、私が好きになる人たちも、程度の違いこそあれ、
私と同じように自分からは告白したくないであろうと考えられます。

つまり相手には、私のことを滅茶苦茶に好きになってもらう必要があります。
さて、どうしたらよいのでしょうか?

言うまでもなく、私は現代に残った唯一の大和撫子なので、
自分から積極的に、たとえば遊びに誘ったり、食事に誘ったりはできません。
そもそも近づくことができません。
ましてや話すことなんてできません。
ではどうするのでしょう?

答えは簡単です。見るのです。
好きな人のことをちらちら見ます。
まずこちらを向いていない隙に見ます。
これで好きな人の姿に慣れることができます。

次は相手に、わざとばれるように見ます。
相手がこちらを見たら、目を逸らします。
ばれないように見ている風を装うことがコツです。
ほっぺたの色も朱色に変えられたら良いのですが、
普通、そこまで操作できません。できたらやりましょう。

一体なんの意味があるのかというと、
これは相手に好意を伝える行為なのです。
告白してもOKのサインです。
あと、話しかけてもらうきっかけでもあります。

たとえば「なんでちらちら見てくるの?」と聞かれたならば、
私は「好きだからです」と答えます。
これは告白ではありません。質問に答えただけです。
詭弁だと思いますか? なにも思いませんね。

とにかく私は、相手に好きだと伝えたら、絶対に交際できる自信があります。
でも自分からは絶対に告白できません。
だから神さま、なぜ見ているかを聞いてください。
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原萩子ちゃんは告白させたい [Philosophie]

記事タイトルを考えるのに二週間かかってしまいました。
タイトルさえ考えてしまえば、あとは書くだけなので、
もう完成したようなものです(時々完成直前で全部消すこともありますが)。

なにか似たようなタイトルの漫画やアニメかがありますが、特に関係はありません。
なに一つ見たことがありません、あしからず。

なぜ私は告白させたいのか。
そもそもなにを告白させたいのか。
告白と聞くと、なぜか恋心の告白だと多くの人は思いますが、
告白といっても色々あります。罪の告白や……まあなんかです。

今回、原萩子ちゃんが告白させたいのは恋心です。案の定です。
恋心をなぜ告白させたいのか、言うまでもなく、自分から告白したくないからです。
告白というものの、その多くは敗北宣言だからです。

「好きです。付き合ってください」と、
言ってしまったが最後、こちらは相手に一生(相手を好きでいる限り)頭があがりません。
お互いの格付けが決定されてしまうのです。
恋愛関係の主導権を相手に与える愚かな行為なのです。
「私と付き合うことを許可します」ならばその限りではない)
ゆえに相手に告白させなければなりません。

告白の害は他にもあります。
告白に成功しても、失敗しても、元の関係には戻れません。
それのなにが問題なのかというと、
その後も地球は回り続けるからです。
告白したという事実は、もう一生消えません。
自分自身をこの世から消すか、相手を消すか、どちらかしか解決方法はありません。

たとえるなら、告白成功は強姦後、和姦ですが、告白失敗は強姦です。
魂のレイプです。気軽にやっていいものではありません。
友達だと思っていた人に、
いきなり「性的な目で見ていました」と言われ、
ショックを受けない人はいないでしょう。
「一度くらい平気かな?」などと考えてはいけません。
両思いだったとしても、それは結果論です。


告白は敗北宣言であり、強姦でもあるという二重苦です。
(本当は三四重苦くらいありそうですが考えるのが面倒なので略します)
自分からやりたくないと考えるのは、まともな人間として当然です。
それでも原萩子ちゃんは告白させたいのです。
相手に、自分がやりたくない行為を強いたいのです。
負けは認めたくないですし、
強姦するより強姦されたい派だからです。


相手の都合を考えず、感情を押し付ける告白する人、
やりたくないことをやらない、告白待ちの人、
どちらも屑です。貴女はどちらの屑になりますか?
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死ぬ権利 [Philosophie]

生きる権利があるならば、
死ぬ権利だって誰にでもあるはずなのです。
にも関わらず、社会には自殺というものを責める向きがあります。
理由の一つとしては、死ぬ場所が悪いのでしょう。

自殺者の多くは、人の迷惑を考えて死にます。
北極点に向かって橇で突っ走っていく人を責める人はあまりいませんが、
たとえば電車に飛び込まれると「仕事に遅れる」と怒る人がいっぱいいます。
そういう屑どもにダメージを与えるために、電車にアタックするのです。
自殺するまで自分を追い込んだ社会に対する復讐なのでしょう。
あまり効果があるとは思えませんが。

もう一つの理由は、命は大切だ、自殺は罪だ、という風潮です。
洗脳と言い換えてもいいでしょう。

なぜ命は大切なのでしょうか?
実際のところ、命が失われると労働力が失われるからです。
つまり命というものは労働力です。
辛いというだけで自殺されると、労働力を使う側の人間が困ります。
自分が労働しなければならなくなりますから。
だから時の権力者たちは自殺を禁じてきたのでしょう。
ちなみに、言うまでもなく今もそうです。

自殺が社会的にNGなのは、結局そういった資本主義的なエゴが理由です。
原始時代、または第三次世界大戦後の終末世界を想像してみてください。
自殺する人なんていないはずです。
資本主義ってやっぱり糞ですよね(特に私が大金持ちでない点が)。


そもそも、死は人生のゴールです。
自殺することによって、人より早くゴールに到着する。
それは悪いことなのでしょうか?
終わりではなく、始まりである可能性もあるのではないでしょう?

生きていればきっと楽しいことがある。だから生きろ、という人がいます。
自らの快楽のために生きる屑だと思います。
そんなことを言うなら百万円ください(それがなくなるまでは生きてあげます)。

第一、生きていればほにゃららと、仮定の話するならば、
死ねば、もっと自由で楽しいことが待っているという仮定も許されるはずです。
生きていれば楽しいことがあると想像できる人は、
死ねば楽しいことがあるとなぜ想像できないのでしょうか。

ノーベル賞を受賞した後、AV女優になる妄想をして楽しんでいる私ですが、
私はどちらも想像できません。不思議なものです。
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原萩子先生の命の授業 [Philosophie]

原萩子ちゃんは、虫も殺せないような顔をしている通り、
虫を殺したことがありません(蚊とか蠅とかは、私にとって虫ではありませんの)。
他の生き物、特に哺乳類を殺したこともありません。
自分で育てていたハーブも、一度も食べずに花が咲いて寿命で枯れました。

また、紙に印刷されている、あるいは書いてある動物も殺したことはありません。
(殺すには、まず紙から出す必要があります)
しかし、捨てるのも心苦しいので、
そういうメモ用紙を原萩子ちゃんに渡すのは止して欲しいのです。


とにかく、私は動物が死ぬところを見たくないのです。
実物でも、アニメでも、CGでも、イラストでも、動物が死ぬのは可哀そうです。
好きでもない人間は、いくら死んでもなんとも思わないのに、
好きでもなんでもないブサイクな犬が、フィクションでも死んだら悲しいのです。
たぶん私は前世か現世がエルフかなにかなのだと思います。

私は、子供の頃に猫と暮らしていましたので、
いまでも猫が好きなのですが、また一緒に暮らすことはできません。
だって、どれだけ長く生きても、猫は十五年程度しか生きられないのです。
永遠を生きる私にとって、永遠に生きられない猫は、友達になりえないのです。

生き物の死は、その数だけ私に悲しみを与えます。
私が、猫が死ぬたびに、新しい猫と暮らすような人間だった場合、
悲しみは(運がよければ)十年に一度やってきます。
仮にすぐ死ぬ生き物(カゲロウなど)が好きだった場合、
悲しみは二十四時間に一度やってきます。

カゲロウは極端な例ですが、昆虫などの早く死ぬ生き物を飼うのが趣味の人は、
何度も何度も死を目撃して、
頭がおかしくならないのでしょうか?(あるいはすでにおかしいのでしょうか)


頭がおかしいといえば、命の大切さを教えるために、
小学校で家畜(原萩子ちゃんではない)を買って飼って、
それを喰らうという映画がありました。現実だったかもしれません。

そんな狂気の教育をしなくても、
私のような動物大好きで頭のおかしい天使みたいに可愛い天使が生まれるのですから、
命の大切さや、思いやりの気持ちというものは、教育出来るものではなく、
生まれながらのものだということがわかります。
わかったところでなんだというのでしょうか。
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ブサイクについて [Philosophie]

原萩子ちゃん、後期(そろそろ死ぬ)三部作の最終章、
ブサイクについてがようやく完成しました。
書く気になったというだけで、実際には、いま書いている途中ですが、
書く気になった瞬間、もう記事作成は終わっているので、とにかく完成です。

デブ、ハゲと来て最後はブサイクです。
格好いいデブ、格好いいハゲは稀にいますが、
格好いいブサイクというのは、ファンタジィの世界にしかいません。
現実でも探せばいるかもしれませんが、それはファンタジィ世界から来た人です。


まずはブサイクを定義したいのですが、
ブサイクはデブやハゲと違い、定量化(原萩子ちゃんには)できないことが問題となります。
ですので今回は諦めます。定義しません。
自分の中のブサイクを、各々が頭に思い浮かべながら、先へと進みます。


私の中でのブサイクは、
努力をしないということが、一番の特徴としてあげられます。
そう、ブサイクは努力をしないのです。
ブサイクの頭の中にあるものは、
おそらく諦めと、容貌の整った人たちへの嫉妬でしょう(あとはまあ人並みの生への執着)。

諦めという感情は、ハゲ、デブにも、共通して観察されるものです。
醜い連中は諦めが良い……のかというとそうでもなく、
諦めが悪いから、頭の中に諦めが残っているのです。
連中は、夢(ふさふさ、がりがりなど)を抱きながら、
夢に向かって何か努力をすることもなく、永遠に諦め続けているのです。
その奇妙なアティテュードは、常人には理解できないでしょう。

容貌の整った人たちは、ブサイクの夢です。
努力することもなく、自分(ブサイク)の夢を叶えた存在です。
嫉妬するのも無理はありませんが、ブサイクたちは勘違いをしています。
容貌の整った人たちだって、ブサイクたちと同じような自堕落な生活をしたら、
やはりブサイクになる可能性が高いのです。

生まれつき天使のような(例えば原萩子ちゃんのような)人は滅多にいません。
いたとしても、ブサイクたちが嫉妬できるような存在ではないでしょう。
ブサイクたちが嫉妬できる範囲にいる容貌が整った人たち(の多く)は、
努力によってその場所にいるのです。
それを知らないからブサイクはブサイクなのです。
多様性とかいってないで、努力の大切さを教えるべきでは?


努力でもどうにもならないブサイクがいると仮定します。
それはもう整形するしかないでしょう。だって、病気じゃないですか?
「ブサイクは病気」だというと、少し言葉が強いかもしれませんが、
努力ではどうにもならない=普通の人間の骨格をしていないということです。
歯列矯正のようなものだと思えば、おかしくはないと思います。

そもそもなぜ整形は敬遠されるのでしょうか。
美容整形は悪なのでしょうか?
当然、単純な医療ミスや整形依存などは問題ですが、
「整形は親不孝」などというのは意味不明です。
自分に自信が持てず、うじうじした不幸せ一生を送る方が親不孝なのでは?
「親からもらった顔を~~」という決まり文句みたいなものもありますが、
お前の遺伝子は糞だ、としか言いようがありません。

他にも色々と、美容整形に対する反対意見はありますが、
そのほとんどが、とち狂った天然崇拝ばかりです。
頭の髄まで化学物質漬けにされた機械文明の申し子がなにを言っているんでしょうか?

中でも一番キライな反対意見は、
「子供の顔がブサイクに生まれたら詐欺」みたいなものです。
なんで子作り前提で話を進めているのですか? 死んで?と思いました。



ところで、なぜこれほどまでにブログの更新期間が空いたのかというと、
ミスタードーナツを食べたら、胃がもたれ、
なんとニキビができてしまったので(線路に突き落とされても文句は言えない)、
それを治すために早寝早起きしたり、いろいろと頑張っていたのです。

原萩子ちゃんのような美少女ですら努力が必要なのですから、
皆さんも美容のために頑張りましょう(謎のオチ)。
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ハゲについて [Philosophie]

ランクCの人はランクB以上の人に片思いします。
ランクBの人はランクA以上の人に片思いします。
ランクAを最高とした場合、ランクAの人はランクAの人と両思いになります。
これが基本パターンです。
しかし低ランクの人も悲観することはありません。
高ランクの人が低ランクの人を好きになる両思いのパターンもありますので。
もちろん妥協と言い換えることもできますが、どうでもいいでしょう?


さて、ついったーに投稿しようとしたけど、
長すぎて投稿できなかった文章を処理したところで、ハゲについて書きます。
要望があったので書きます。鬼のように優しいです。

まずハゲの定義が必要です。
毛が一本もなければハゲなのでしょうか? ハゲなのでしょう。
しかし現実には、こういったわかりやすいハゲは少ないものです。
薄毛という分類もありますし。
私の中でのハゲとは、毛量の少なさを意識している人を指します。
自分をハゲだと意識する。あるいはハゲではないと意識することがハゲです。
ハゲていない人は、自分がハゲかどうかなんて意識に上らないものです。

ところで、全盲の人間に髪の毛がなかった場合、
その人はハゲでしょうか? それどころではないでしょうか?


ハゲはデブと比べて罪が薄いです。いや軽いです。
なぜならハゲ自体は、努力ではどうにもならないからです。
(醜いという点に変わりはありませんが)
どちらが害悪かという点は、私にはよくわかりませんでした。
風俗嬢になった気で考えてみると、デブの方がイヤです。
デブでハゲならもっとイヤです。石油王ならいいです。


ハゲには、性格の良いハゲと性格の悪いハゲの二種類がいます。
この点は人類と大きく変わりません。
性格の良いハゲは、自らハゲをネタにしたりします。
笑っていいかよくわかりません。
性格の悪いハゲは、自らをハゲであると認めていません。
笑ったらきっと怒ります。
どちらかというと性格の悪いハゲの方が多いように観察されます。
しかし性格が悪いとハゲるというわけではなさそうです(私を見よ)。


性格の悪いハゲは、自分がハゲていなかったら、
きっとモテモテで人生薔薇色だと思い込んでいますが、
その多くが大した顔をしていません。
「このハゲ、髪の毛があったら格好いいのに」と思ったことがありますか?

結局のところ、わかりやすい人生の言い訳としてハゲを利用しているのです。
毛が生えたところで、不細工に毛が生えた顔になるだけでしょうし、
哀れな人生で終わるでしょう。ちんぽこかわいそう。

ハゲの最終手段には植毛などがあります。やればいいと思います。
しかし多くのハゲはやりません。やると希望が絶たれるからです。
お金がかかるというのもあるかもしれません。たぶん保険もききません。
でもそれがなんだというのでしょうか?
ハゲは病気なので(断言)、治せるのなら治した方がいいと思います。
治せないというのなら治さなくてもよいです(実際どうでもいいのです)。


そういえば、世の中には格好いいハゲが、主に海外にいます。
まあ日本の大多数のハゲには関係ないですね。ごめんなさい。
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デブについて [Philosophie]

最近、体重を測定しました。
激やせでした。いつものことですが。

私のことはさておき、デブの話をします。
デブはなぜデブなのでしょうか。
病気(またはストレスによる摂食障害など)の場合を除けば、
基本的には本人の生活習慣が原因でしょう。
デブがデブなのは、ほとんどはデブ自身のせいなのです。
にもかからわず、大多数のデブは、
なんの努力をすることもなく、デブのままデブであり続けるのです。
なぜなのでしょうか?

可能性として考えられるのは、
1、相撲レスラーだから。
2、レスラ―だから。
3、キャラづくり。
4、宗教上の理由。
5、上からの指示。
6、努力したくないから。
7、意味がないから。
などが考えられます。

このように、多くの場合デブがやせない理由に大したものはありません。

努力はしているけど、やせられないというデブもいます。
これは比較的良性のデブですが、所詮デブはデブです。
努力が足りないとしかいいようがありません。
本気で痩せようと思ったら痩せられるはずです。
痩せられないはずがありません(白骨死体を見よ)。

しかし、痩せようとしているだけ、良性のデブはマシです。
悪性のデブという生き物は最悪です。
自分のデブを正当化しようとするのです。

例えば、最近の「デブでも美しいムーブメント」がそれです。
誰が言い出したかは知りませんが、頭がおかしいのではないでしょうか?
太っていても綺麗な人も、たまにはいますが、
その場合、それほど太っていないか、痩せたら綺麗な人(痩せたらもっと綺麗になる)です。
そういう特例を見て、デブでもいいんだと思い込んではいけません。

別に痩せたくなければ、無理に痩せろとはいいませんが、
デブは(美しくは)ないです。大多数の人間にとっては醜いです。
しかし、デブは痩せる努力を惜しみ、
代わりに、美醜の基準を歪める努力をしています。

例えば、痩せすぎのモデルは、最近規制が進んでいますが、
痩せすぎは美しくないという話はちょっと違うと思います。
痩せすぎは危険ではありますが、
死をもいとわない努力によって生み出された美です。
磨かれた宝石を美しいと感じる感性があれば、その美がわかるでしょう。
(その努力を否定するならば、デブの化粧も責められるべきです)

ゆえに、痩せすぎの私は美しいのです(性格を除く)。
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